洋画感想連想記

息をするように洋画を鑑賞して10数年です。海外ドラマも好きです。

映画『マンハッタン・ラプソディ』外見コンプレックスを乗り越える

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今から1か月前くらいに、『マンハッタン・ラプソディ』という映画を観ました。NETFLIXでサーチしていて、たまたま発見した作品でした。

 

NETFLIXって、配信作品を選択するとプレビューが再生される仕組みになっているんですが、この『マンハッタン・ラプソディ』のプレビューは主人公が大学で講義をしているシーンをそのまま切り取ったものになっていて、これに惹かれました。

 

講義では、主人公ローズが「典型的な女性の3タイプ」の話をしています。

”男好きの女”、”メデューサ(嫉妬する女)”、そして”私”。私と表現した最後のタイプは、”忠実な侍女”。つまり、いつも花嫁の横にいるけれど、決して花嫁にはなれない存在のことらしいです。この話は自分の妹クレアの結婚式に参加した経験から、それぞれクレア、母、ローズに当てはまるのだそうです。

講義をしているローズは化粧っ気がなく、シンプルな黒い服をまとっていて、地味な感じですが、知的でユーモアがあって、学生には大人気であることがわかりました。

 

よくあるラブコメっぽいな…と軽い気持ちで鑑賞し始めましたが、結構心に響いたので、ここに感想を書いておきたいと思いました。

 

『マンハッタン・ラプソディ』は1996年のアメリカ映画です。

簡単にあらすじを書きます。こんなところだと思います。

 大学教授のローズは自分の容姿に自信がなく、自分にロマンスは向かないと感じている。大学の同僚グレゴリーは、過去の女性経験から美人恐怖症に悩まされている。グレゴリーは「博士号持ちで35歳以上、容姿は問わない」という条件で、新聞に恋人募集広告を出す。これを見たローズの妹クレアは、ローズに黙って彼女の写真と情報を送る。ローズを気に入ったグレゴリーはさっそく彼女に近づこうと、彼女の講義を覗きに行く。ローズは講義の中で「文学の世界ではセックスは破滅のもとで、古くは結婚やセックスは重要ではなく、精神的な結びつきこそが真実の愛とされていた」と語り、グレゴリーはこれに感銘を受ける。連絡を取り合うようになった二人はデートを重ねていき、次第に互いの魅力に気付き始め、惹かれあうようになる。「精神的な結びつき」の力を強く信じたグレゴリーは、ローズに肉体関係なしの交際を求め、戸惑いつつもローズはこれに同意。順調に交際を続け、やがて二人は結婚する。新婚生活も問題なく過ごしていたが、ローズは自分が欲求不満であることに気が付いて焦り始める。一方のグレゴリーも、彼女のセクシーな部分に気が付き始め、自分で誓った「肉体関係を持たない」という気持ちが揺らぎそうになって動揺する。そんな中、二人の間に決定的な溝ができてしまい…。

これ以降の内容には、以下の映画に関するネタバレを含みます。

  • 『マンハッタン・ラプソディ』 

 

この作品は「外見の美しさ」というのが大きなテーマの一つになっています。

 

主人公ローズは、自分のことを醜いと思っています。それゆえに、一般的に女性的とみなされていることから遠ざかっています。例えば、化粧をする、おしゃれをする、恋人とのロマンス、といったものです。

コンプレックスの原因はだんだんと明らかになっていきますが、主に母親と妹の存在にあります。二人とも美人で派手な性格で、母は部屋中に昔の自分の写真を飾っていたり、妹クレアの結婚式でも自分が主役といった具合ですし、クレアも次々と男を乗り換える系の女性として描かれています。クレアはもともと結婚していたにも拘らず、ローズが片想いしていたアレックスといい仲になり結婚に至っています。アレックスは鈍感な男で、ローズの気持ちにはまったく気づいておらず、ローズは自分の気持ちを打ち明けることなく「美人の妹に勝ち目なんかない」と卑下して譲ってしまったのでしょう。

 

ローズは映画の後半で、幼少期に母から「鼻がそれ以上伸びないように抑えていろ」と何度も言われ、それによって「自分はブスなのだ」と気づいてしまったと母に打ち明けています。ところが母は「そんなこと言うわけがない」とこのことを覚えていないというのがすごくリアルです。自分とは対照的に、妹は母に似て誰から見ても美人なので、きっと人生のいかなるときにも、自分と妹を比較していたのだろうと想像できます。

一晩明けて、母は彼女なりに考えたことをローズに伝えます。母は、実は人生で誰のことも愛したことがないこと、いつも「まだ時間がある」「人生はこれから」と若い娘の気分でいて、年老いた今もなおその気持ちを持っていること、でも現実は違うので娘たちについ嫉妬してしまうことを打ち明けます。美人であるがゆえの葛藤ですが、これもリアルです。この告白のあとで、一枚の写真をローズに手渡します。ローズは写真の可愛い子供をクレアだと思って褒めますが、実は自分の写真であると聞き、前向きな気持ちになります。「あなたは可愛い。忘れないで。」という母の言葉は暖かくて、少し目がうるつきました。

 

話が前後しますが、この一連の出来事の直前に、ローズは(一応合意のもと)グレゴリーとのセックスを試みるも最終的には拒まれてしまいます。実際にはグレゴリーは「肉体関係を持ったら関係が破綻する」と信じていたために無理やり自制しているだけなのですが、勇気を振り絞った分ローズは傷つき、「彼がセックスを拒んだのは自分に魅力がないからだ」と思ってしまいます。

母とのやり取りで気持ちが前向きになったローズは、グレゴリーが海外出張している間に自分磨きを始めます。ジムに通い、美容室へ行き、化粧を学び、どんどんきれいになります。そして帰ってきたグレゴリーにきっぱり別れを告げます。

 

この映画の素晴らしいところは多々ありますが、そのうちのひとつは、グレゴリーが割と主体的に行動している点です。

恋愛映画(とくにベタなやつ)では、男性が「女性の望むように動きすぎる」ことがありません?(正確に言うなら「女性が望んでいるとされている行動をとりがち」がいいかもしれませんが。)男性側の心理描写はあまりなされず、そういう行動をとらせるために友人や家族が手助けしたり、時間がたって誤解が解けたりして、「観客が納得するだけ」の根拠でもって話が進みがちです。

 

関係がこじれる前、グレゴリーはローズのありのままの姿を受け入れています。

例えば、初めてのデートでローズが自分の数学の話をすぐに理解したときは、素直に感心して喜んでいました。ローズが化粧をしていない自分を「女失格だ」と卑下したときには、「君は自分に自信があるから飾りが要らないのだ」と言ったし、食事の際にローズが独特な食べ方をしても、それを「儀式」だと表現して馬鹿にしませんでした。それどころか、彼女の考えを理解し受け入れていました。母と3人のディナーでも、見栄を張ってローズをたしなめる母に動じずに、徹底してローズの味方に立ちました。そんなグレゴリーに、ローズは惹かれていったはずですし、彼女もそれをよくわかっているのですが、コンプレックスというのは手ごわいもので、そう簡単には払しょくされません。女性的なことを遠ざけてきた彼女は、いわば最も性的な行為であるセックスを拒まれたとき、自分のコンプレックスをその原因と結びつけてしまったのだと思います。

 

グレゴリーは自信に満ちた素敵な男性に違いないのですが、まじめなので自分の信念を曲げられないところがあります。それに、いかにも男性的ですが、”実際に言われないと”相手が何を考えているのか想像できない人物です。彼自身は彼女を心から魅力的だと思っていますし、「セックス抜きの関係」に対して満足していて、合意した彼女も同様だ信じているので、こんなすれ違いが起こるんですよね。

 

 グレゴリーに別れを告げたローズはすっかり「外見に気を遣う女性」になり、健康的な食事を意識したりしていて、親友が「モテない同士で味方だと思っていたのに」と悲しむシーンがあります。でも、ごたつく恋愛映画あるあるは起こらず、ローズは親友に「中身は変わっていない」ことを証明して、仲たがいしなかったので安心しました。

 

また、クレアは早々にアレックスに飽きており、ローズがグレゴリーと別れたころに離婚しました。フリーになったアレックスはすっかり外見が美しくなったローズに惹かれ、少しいい感じになります。二人はキスを交わし、ローズの長年の夢が叶います。

キスの最中、アレックスは「ずっと君を愛していたけど、気がつかなかった。」という”なんかロマンチックだけど矛盾したこと”を囁きます。引っ掛かったローズが問いただすと、アレックスは「あの頃は今と違っていたから…」なんてぬかします。外見が変わったから中身の良さに気が付いた。要するに、外見の美しさが重要だということです。 

 

このあとの吹っ切れたローズのセリフがかっこよくて好きです。

(キスを夢見ていたのに)何も感じない。

今までは自分に自信がなく、あなたを喜ばせることばかり夢見ていた。

自分はあなたに釣り合わないと思っていた。

でもアレックス、自信が生まれたから、もうあなたじゃ物足りない。

アレックスはハンサムなだけで薄っぺらいという残念な男性として描かれています。

自分に自信がないと、自分の価値を低く見積もってしまって、無意識のうちにその価値観に合わせた相手を求めてしまうということを、うまく表現しているなと思いました。

 

最終的には、ローズが住むアパートにグレゴリーが来て、道路上ですべての誤解を解いて復縁します。抱き合ってキスをしますが、このときマンションのひとりの住人が気を利かせてプッチーニの曲を流します。荘厳な曲に合わせて歌まで歌ってくれますが、プレビューになっていた講義の終盤で、「恋に落ちるとプッチーニの曲が聞こえる人もいる」みたいな話が出てきていまして、この伏線を何気に回収しています。おしゃれです。

 

熱くなって長文になってしまいました。

最後まで読み切ってくださった方がいたならうれしい限りです。ありがとうございます。

 

あとで調べたら、主演のバーブラ・ストライサンドは、監督も務めているようでした。

Wikipedia情報では以下のようにあります。これが本当であれば、この作品と自身の体験がかなりリンクしている可能性があります。この作品で描かれる「外見至上主義」的な話題がリアルなのも納得です。

母親のダイアナ・アイダ・ローゼンはバーブラが魅力的ではないと感じ、娘にショービジネスを勧めることはなかった。この事が、バーブラが長年、エンターテイメント界での数々の成功にもかかわらず自分の容姿にコンプレックスを持ち続けた理由ではないかとされている。

 

追記

グレゴリーは数学科の教授で、本を出版するほどの人物ですがユーモアのセンスはゼロ。講義も大変つまらないため、学生からもあまり人気はありません。ただハンサムで誠実そうなルックスではあるので、そこそこモテるようです。過去に何人もの女性といい関係になっているものの、毎回うまくいっていません。友人には「セックスと仕事が両立しない」と指摘されています。

ちょっとした豆知識ですが、序盤で「美人と付き合ってもいいことがない」と思い悩むグレゴリーが自宅でテレビを見るシーンがあって、なぜか性的な印象の番組ばかり放送されていて面白いんですが、この中で一瞬、映画『バイオハザード』でおなじみの若かりしミラ・ジョヴォヴィッチが登場してました。