洋画感想連想記

息をするように洋画を鑑賞して10数年です。海外ドラマも好きです。

Netflix映画『ラブ&モンスターズ』あたたかさとハラハラ感がちょうどいい

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先月(2021年4月)、Netflixで配信が始まった映画『ラブ&モンスターズ』。

 

この映画は、SF、コメディ、そしてアクションの要素を持っていると言えそうです。

 

名前の通り、多種多様なモンスターがたくさん出てきます。

作品の雰囲気は結構コミカルで、モンスターとの戦闘シーンはハラハラドキドキするものの、気楽な気持ちで鑑賞できます。

理不尽な展開や、のちの展開の伏線としてモヤモヤさせられるシーンなどはほとんどないので、共感能力の鋭い人でも安心していられるでしょう。

 

 

あらすじ

あらすじを簡単に書きます。こんなところだと思います。

7年前、突如として小惑星「アガサ616」が地球に接近。人類はミサイルを飛ばし、なんとか小惑星を破壊して事なきを得る。

ところが、爆発したミサイルの化学物質が地上に降り注ぎ、アリ、トカゲ、ゴキブリ、ワニなどさまざまな生物が狂暴なモンスターと化してしまい、たった1年で人口の95%が死亡してしまう。生き残った人類は地下シェルターなどに避難した。

主人公ジョエルは、とある地下シェルターに住んでいる。7年前、両親はモンスターに襲われて死亡。恋人エミリーとは離ればなれになり、「必ず見つける」と約束していた。

ある日、無線機を使ってエミリーの居場所を突き止めることに成功したジョエルは、仲間の反対を押し切って危険な地上へ出ていく。

これ以降の内容には、以下の映画に関するネタバレを含みます。

  • 『ラブ&モンスターズ』

 

主人公ジョエルのキャラクターが素晴らしい

言うなればドラマ『the OC』のセス・コーエン、『ゴシップガール』のダン・ハンフリー(ダンはセスをモデルにしているらしいですが)、そして不良っぽさを抜いたシャイア・ラブーフのようなキャラクターだと思います。

 

何を言っているのか意味不明だと思うので具体的に言いますと、

  • ちょっと頼りないけど心優しくて思いやりがある
  • リーダーではなくフォロワータイプ
  • ユーモアがあってよくしゃべる
  • 皮肉を言ったりもする

こんな感じの、どちらかというと三枚目な感じです。伝わっているでしょうか…。

 

私は個人的にこういうキャラクターが大好きなんですよね。映画の冒頭にはジョエルのナレーションによる状況説明があるんですが、この時点で上記の特徴が見て取れて、もうそれだけでこの作品に対する好感度が爆上がりしました。ちなみに主人公ジョエルを演じているのは、映画『メイズ・ランナー』シリーズでおなじみのディラン・オブライエンです。

すさまじいマッチョ感や圧倒的なカリスマ性でもって人を引っぱるのではなく、他人から大きな信頼を得て結果として人を引っぱるタイプ。動物やロボットにもやさしく接する人物。何度でも言いますが私は好きです。

 

この映画でも然りですが、この三枚目キャラは「緊張感を緩める」という重要な役割を果たします。たいがいは主人公ではなく脇役に振られることが多いですが、最近の映画やドラマでは、主人公の属性として設定されていることが増えている気がします。ジョークや皮肉を飛ばせる場合、やさしさや知性を多く備えているからでしょうか。

 

7年ぶりの恋人との再会がリアル

恋人エミリーと再会するために、ひとり地上に出たジョエル。

結論としては、ジョエルは無事にエミリーのいる海に面したシェルターまで辿りつき、7年ぶりの再会を果たせます。

 

印象に残ったのは、このあとの展開です。

 

7年前、混乱の中で「愛している」と言い合って離れてから、ジョエルは一途にエミリーを想っていました。「必ず見つける」と約束し、それを実現しました。そして命がけで彼女のもとにたどり着きました。

映画だったら、この流れであれば、出迎えたエミリーとジョエルが熱く抱き合ったり、キスを交わしたりして感動の展開になりそうです。ところがそうはなりませんでした。

 

離れていた7年の間にエミリーは最愛の人を見つけており、その人は去年亡くなっていました。「もう昔の私はいない」と悲しそうに告げるエミリーに対し、ジョエルはこう返します。

俺はなんてバカなんだ。

来るべきか聞かなかった。ただ急いで飛び出してきた。

会いにくれば君は僕に惚れ直し、ハッピーエンドだと期待していた。

 

ここでジョエルが怒らずに、「来るべきか聞かなかった」と言うんです。

彼女の気持ちを尊重できていなかったこと、自分の都合のいいようにしか考えていなかったことを反省するんです。これは、なかなかできないことです。

 

この4年くらいで、こういう描かれ方がされていると感動してしまう身体になりました。ヒロインが一人の人間として描かれている作品は最近ではかなり増えてきました。私は海外の映像作品ばかり見ていて、自分の国の作品はほとんど見ていないのですが、日本の映像作品はどうなのでしょうか。日本の場合、少なくともCMやバラエティ番組の構成を見る限りでは、そこまでではなさそうに思えます。

ちなみに『ラブ&モンスターズ』では、エミリーも体をはって敵と戦います。鉄板1枚で銃を連射する敵に向かって体当たりしたりします。普通そうに見える女性がそういう”動き”をしているところを見るという経験は重要だと思います。

 

最後には勇気をくれる

ジョエルは、「外は危険だけど自分が7日間生き延びられたならだれでも可能」と言って、「閉じこもっていてはだめだ」とメッセージを送ります。無線を使って、全世界に向けて発信しています。また、7年間の間に絵が上達し、自分が知ったモンスターに関する情報などを絵とともに書き記したノートを作成しており、初版はエミリーに渡して自身は第2版を所有しています。

 

現実世界はコロナ禍で閉塞感が漂っていますが、このモンスターパニックの危険な世界と重ね合わせてみることもできそうです。

映画『マンハッタン・ラプソディ』外見コンプレックスを乗り越える

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今から1か月前くらいに、『マンハッタン・ラプソディ』という映画を観ました。NETFLIXでサーチしていて、たまたま発見した作品でした。

 

NETFLIXって、配信作品を選択するとプレビューが再生される仕組みになっているんですが、この『マンハッタン・ラプソディ』のプレビューは主人公が大学で講義をしているシーンをそのまま切り取ったものになっていて、これに惹かれました。

 

講義では、主人公ローズが「典型的な女性の3タイプ」の話をしています。

”男好きの女”、”メデューサ(嫉妬する女)”、そして”私”。私と表現した最後のタイプは、”忠実な侍女”。つまり、いつも花嫁の横にいるけれど、決して花嫁にはなれない存在のことらしいです。この話は自分の妹クレアの結婚式に参加した経験から、それぞれクレア、母、ローズに当てはまるのだそうです。

講義をしているローズは化粧っ気がなく、シンプルな黒い服をまとっていて、地味な感じですが、知的でユーモアがあって、学生には大人気であることがわかりました。

 

よくあるラブコメっぽいな…と軽い気持ちで鑑賞し始めましたが、結構心に響いたので、ここに感想を書いておきたいと思いました。

 

『マンハッタン・ラプソディ』は1996年のアメリカ映画です。

簡単にあらすじを書きます。こんなところだと思います。

 大学教授のローズは自分の容姿に自信がなく、自分にロマンスは向かないと感じている。大学の同僚グレゴリーは、過去の女性経験から美人恐怖症に悩まされている。グレゴリーは「博士号持ちで35歳以上、容姿は問わない」という条件で、新聞に恋人募集広告を出す。これを見たローズの妹クレアは、ローズに黙って彼女の写真と情報を送る。ローズを気に入ったグレゴリーはさっそく彼女に近づこうと、彼女の講義を覗きに行く。ローズは講義の中で「文学の世界ではセックスは破滅のもとで、古くは結婚やセックスは重要ではなく、精神的な結びつきこそが真実の愛とされていた」と語り、グレゴリーはこれに感銘を受ける。連絡を取り合うようになった二人はデートを重ねていき、次第に互いの魅力に気付き始め、惹かれあうようになる。「精神的な結びつき」の力を強く信じたグレゴリーは、ローズに肉体関係なしの交際を求め、戸惑いつつもローズはこれに同意。順調に交際を続け、やがて二人は結婚する。新婚生活も問題なく過ごしていたが、ローズは自分が欲求不満であることに気が付いて焦り始める。一方のグレゴリーも、彼女のセクシーな部分に気が付き始め、自分で誓った「肉体関係を持たない」という気持ちが揺らぎそうになって動揺する。そんな中、二人の間に決定的な溝ができてしまい…。

これ以降の内容には、以下の映画に関するネタバレを含みます。

  • 『マンハッタン・ラプソディ』 

 

この作品は「外見の美しさ」というのが大きなテーマの一つになっています。

 

主人公ローズは、自分のことを醜いと思っています。それゆえに、一般的に女性的とみなされていることから遠ざかっています。例えば、化粧をする、おしゃれをする、恋人とのロマンス、といったものです。

コンプレックスの原因はだんだんと明らかになっていきますが、主に母親と妹の存在にあります。二人とも美人で派手な性格で、母は部屋中に昔の自分の写真を飾っていたり、妹クレアの結婚式でも自分が主役といった具合ですし、クレアも次々と男を乗り換える系の女性として描かれています。クレアはもともと結婚していたにも拘らず、ローズが片想いしていたアレックスといい仲になり結婚に至っています。アレックスは鈍感な男で、ローズの気持ちにはまったく気づいておらず、ローズは自分の気持ちを打ち明けることなく「美人の妹に勝ち目なんかない」と卑下して譲ってしまったのでしょう。

 

ローズは映画の後半で、幼少期に母から「鼻がそれ以上伸びないように抑えていろ」と何度も言われ、それによって「自分はブスなのだ」と気づいてしまったと母に打ち明けています。ところが母は「そんなこと言うわけがない」とこのことを覚えていないというのがすごくリアルです。自分とは対照的に、妹は母に似て誰から見ても美人なので、きっと人生のいかなるときにも、自分と妹を比較していたのだろうと想像できます。

一晩明けて、母は彼女なりに考えたことをローズに伝えます。母は、実は人生で誰のことも愛したことがないこと、いつも「まだ時間がある」「人生はこれから」と若い娘の気分でいて、年老いた今もなおその気持ちを持っていること、でも現実は違うので娘たちについ嫉妬してしまうことを打ち明けます。美人であるがゆえの葛藤ですが、これもリアルです。この告白のあとで、一枚の写真をローズに手渡します。ローズは写真の可愛い子供をクレアだと思って褒めますが、実は自分の写真であると聞き、前向きな気持ちになります。「あなたは可愛い。忘れないで。」という母の言葉は暖かくて、少し目がうるつきました。

 

話が前後しますが、この一連の出来事の直前に、ローズは(一応合意のもと)グレゴリーとのセックスを試みるも最終的には拒まれてしまいます。実際にはグレゴリーは「肉体関係を持ったら関係が破綻する」と信じていたために無理やり自制しているだけなのですが、勇気を振り絞った分ローズは傷つき、「彼がセックスを拒んだのは自分に魅力がないからだ」と思ってしまいます。

母とのやり取りで気持ちが前向きになったローズは、グレゴリーが海外出張している間に自分磨きを始めます。ジムに通い、美容室へ行き、化粧を学び、どんどんきれいになります。そして帰ってきたグレゴリーにきっぱり別れを告げます。

 

この映画の素晴らしいところは多々ありますが、そのうちのひとつは、グレゴリーが割と主体的に行動している点です。

恋愛映画(とくにベタなやつ)では、男性が「女性の望むように動きすぎる」ことがありません?(正確に言うなら「女性が望んでいるとされている行動をとりがち」がいいかもしれませんが。)男性側の心理描写はあまりなされず、そういう行動をとらせるために友人や家族が手助けしたり、時間がたって誤解が解けたりして、「観客が納得するだけ」の根拠でもって話が進みがちです。

 

関係がこじれる前、グレゴリーはローズのありのままの姿を受け入れています。

例えば、初めてのデートでローズが自分の数学の話をすぐに理解したときは、素直に感心して喜んでいました。ローズが化粧をしていない自分を「女失格だ」と卑下したときには、「君は自分に自信があるから飾りが要らないのだ」と言ったし、食事の際にローズが独特な食べ方をしても、それを「儀式」だと表現して馬鹿にしませんでした。それどころか、彼女の考えを理解し受け入れていました。母と3人のディナーでも、見栄を張ってローズをたしなめる母に動じずに、徹底してローズの味方に立ちました。そんなグレゴリーに、ローズは惹かれていったはずですし、彼女もそれをよくわかっているのですが、コンプレックスというのは手ごわいもので、そう簡単には払しょくされません。女性的なことを遠ざけてきた彼女は、いわば最も性的な行為であるセックスを拒まれたとき、自分のコンプレックスをその原因と結びつけてしまったのだと思います。

 

グレゴリーは自信に満ちた素敵な男性に違いないのですが、まじめなので自分の信念を曲げられないところがあります。それに、いかにも男性的ですが、”実際に言われないと”相手が何を考えているのか想像できない人物です。彼自身は彼女を心から魅力的だと思っていますし、「セックス抜きの関係」に対して満足していて、合意した彼女も同様だ信じているので、こんなすれ違いが起こるんですよね。

 

 グレゴリーに別れを告げたローズはすっかり「外見に気を遣う女性」になり、健康的な食事を意識したりしていて、親友が「モテない同士で味方だと思っていたのに」と悲しむシーンがあります。でも、ごたつく恋愛映画あるあるは起こらず、ローズは親友に「中身は変わっていない」ことを証明して、仲たがいしなかったので安心しました。

 

また、クレアは早々にアレックスに飽きており、ローズがグレゴリーと別れたころに離婚しました。フリーになったアレックスはすっかり外見が美しくなったローズに惹かれ、少しいい感じになります。二人はキスを交わし、ローズの長年の夢が叶います。

キスの最中、アレックスは「ずっと君を愛していたけど、気がつかなかった。」という”なんかロマンチックだけど矛盾したこと”を囁きます。引っ掛かったローズが問いただすと、アレックスは「あの頃は今と違っていたから…」なんてぬかします。外見が変わったから中身の良さに気が付いた。要するに、外見の美しさが重要だということです。 

 

このあとの吹っ切れたローズのセリフがかっこよくて好きです。

(キスを夢見ていたのに)何も感じない。

今までは自分に自信がなく、あなたを喜ばせることばかり夢見ていた。

自分はあなたに釣り合わないと思っていた。

でもアレックス、自信が生まれたから、もうあなたじゃ物足りない。

アレックスはハンサムなだけで薄っぺらいという残念な男性として描かれています。

自分に自信がないと、自分の価値を低く見積もってしまって、無意識のうちにその価値観に合わせた相手を求めてしまうということを、うまく表現しているなと思いました。

 

最終的には、ローズが住むアパートにグレゴリーが来て、道路上ですべての誤解を解いて復縁します。抱き合ってキスをしますが、このときマンションのひとりの住人が気を利かせてプッチーニの曲を流します。荘厳な曲に合わせて歌まで歌ってくれますが、プレビューになっていた講義の終盤で、「恋に落ちるとプッチーニの曲が聞こえる人もいる」みたいな話が出てきていまして、この伏線を何気に回収しています。おしゃれです。

 

熱くなって長文になってしまいました。

最後まで読み切ってくださった方がいたならうれしい限りです。ありがとうございます。

 

あとで調べたら、主演のバーブラ・ストライサンドは、監督も務めているようでした。

Wikipedia情報では以下のようにあります。これが本当であれば、この作品と自身の体験がかなりリンクしている可能性があります。この作品で描かれる「外見至上主義」的な話題がリアルなのも納得です。

母親のダイアナ・アイダ・ローゼンはバーブラが魅力的ではないと感じ、娘にショービジネスを勧めることはなかった。この事が、バーブラが長年、エンターテイメント界での数々の成功にもかかわらず自分の容姿にコンプレックスを持ち続けた理由ではないかとされている。

 

追記

グレゴリーは数学科の教授で、本を出版するほどの人物ですがユーモアのセンスはゼロ。講義も大変つまらないため、学生からもあまり人気はありません。ただハンサムで誠実そうなルックスではあるので、そこそこモテるようです。過去に何人もの女性といい関係になっているものの、毎回うまくいっていません。友人には「セックスと仕事が両立しない」と指摘されています。

ちょっとした豆知識ですが、序盤で「美人と付き合ってもいいことがない」と思い悩むグレゴリーが自宅でテレビを見るシーンがあって、なぜか性的な印象の番組ばかり放送されていて面白いんですが、この中で一瞬、映画『バイオハザード』でおなじみの若かりしミラ・ジョヴォヴィッチが登場してました。

脅威との共存 新型コロナとジュラシックワールド

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世の中、まだコロナですよね。

この新型のウイルスが世界中で猛威を振るい始めたころに「アフター・コロナ」という単語が生まれて(使われるようになって)、「コロナが終息した後の世界」的な話のときによく出てきていた気がします。このころはまだ、みんなが事の重大さを理解し始めたころだったように思うのですが、初めての緊急事態宣言が明けて夏になっても、まただんだん寒くなってきても一向に収束しそうにない状況に戸惑い、そのうち「ウィズ・コロナ」と言って「コロナと共存していく」という概念についてよく聞くようになりました。記憶違いならすみません。

 

 コロナと共存していく。「共存」というキーワードから、ふと、映画『ジュラシックワールド/炎の王国』を思い出しました。

 

これ以降の内容には、以下の映画に関するネタバレを含みます。

 

 

ネタバレしますが、この作品のラストで恐竜たちが野に放たれます。

草食恐竜も肉食恐竜も、なんならティラノサウルスも放たれました。

つまり、私たちが居住するエリアにも恐竜たちがやってくる可能性が生まれたということであり、映画の中でもそんな描写があります。この作品は次回作が製作中で、来年('22年)公開になる予定らしいですが、この次回作では、文字通り「恐竜との共存」が描かれるのではと思っているのです。

 

これらの映画のことを知らない人に向けて簡単に説明したいと思います。

(もう知っているよという人は飛ばしましょう。) 

映画『ジュラシックワールド』はシリーズ物で、前述の『炎の王国』は2作目です。

そして、このシリーズは映画『ジュラシックパーク』シリーズを源流としています。

 

ジュラシックパーク』は、琥珀に生き埋めになっていた蚊のお腹の中にあった恐竜の血液からDNAを採取して、本物の恐竜をよみがえらせることに成功した人たちが、とある無人島に恐竜たちを放ち、「ジュラシックパーク」というテーマパークを作ろうとしたんだけれど、開園直前でえらいことになり、結局パークをオープンできずに終わるというお話です。3作品作られていて、2作目以降は放置されている「ジュラシックパーク」を舞台にして恐竜たちとハチャメチャする話です。

 

そして、これの続編として製作された新シリーズ『ジュラシックワールド』は、懲りない人間がまたあの無人島に新たなジュラシックパークを作り出し、パーク名を「ジュラシックワールド」として、今度は恐竜と触れ合ったり眺めたりできる完ぺきな体験型テーマパークを完成させ、ある程度ちゃんと運営できているという状態からお話が始まります。

世界中のセレブなんかも訪れる激映えスポットになっているようですが、客に飽きられるのは困るということで、「もっと大きく、もっと狂暴で、もっと歯の多い、世にも恐ろしい恐竜」をハイブリッドで作り出しており、公開をまじかに控えている状況です。ところがこのハイブリッド恐竜(通称インドミナスレックス)が隔離施設から脱走してしまい、登場人物たちはこの信じられないくらい強いインドミナスレックスと死闘を繰り広げます。

ジュラシックパーク』時代から「めちゃくちゃ賢い恐竜」として通っているヴェロキラプトルという種類の恐竜が人間の指示でチーム行動したり、ティラノサウルスが頑張ったりして、なんとかインドミナスレックスをやっつけます。1作目はここで終わります。

 

私が言及している2作目『炎の王国』では、前作で閉園したジュラシックワールドの火山が近々噴火することが判明し、放置されて生き残っている恐竜たちをどうするのか議論になっている中、とあるお金持ちが秘密裏にその恐竜たちを島から救出するべく、主人公たちを島へ送るところから始まります。ところが実際は、恐竜たちを救出するのではなく高額で売りさばくことが目的だったとわかり、主人公たちは裏切られます。捕らえられた多数の恐竜たちはカリフォルニア州にある大邸宅の秘密の実験施設に輸送され、ここで次々に競売にかけられていきます。このとき試作品として新たなハイブリッド恐竜(通称インドラプトル)が登場します。インドラプトルは、前作のインドミナスレックスのDNAをもとにして作られていて、体長はやや小さいもののインドミナスレックスよりもさらに賢く、狂暴です(歯も多いはず)。観客としては嫌な予感がしますが、その予感は的中し、インドラプトルは檻から出てきて人を襲い始めてしまいます。これを主人公たちと1頭のヴェロキラプトル(名前はブルー)が協力してやっつけます。この死闘と現場の混乱で、捕らえられた恐竜たちがいるラボで有毒ガスが放出されてしまい、このままだと恐竜たちはみんな死んでしまうという状況になります。赤いボタンを押して扉を開ければ助けられますが、そうすれば恐竜たちを外に逃がすことになるという極限状態で、女性の主人公が泣く泣くボタンから手を放しました。ところが、ずっと一緒に行動していた少女がこのボタンを押して、恐竜たちを野に放ってしまいます。実は彼女は自身の母親のクローンであり、自分と同じクローンである恐竜たちにも生きる権利があると考え、ボタンを押す決断をしたのでした。

こうして、多くの恐竜たちがカリフォルニアに放たれることになったわけです。

  

 『ジュラシックワールド/炎の王国』が公開されたのは、2018年。公開初日に映画館へ観に行ったのを覚えています。最後に恐竜が放たれ、動物園や住宅街を見下ろす場所に恐竜がいる描写をみたとき、「まじかよ。ジュラシック“ワールド”ってそういうことか。次のテーマは共存かな。」と思っていました。「共存」というキーワードをすぐに引っ張り出せたのは、実を言うと2016年公開の映画『シン・ゴジラ』のおかげです。これを劇場で鑑賞したときは、リアルすぎて恐怖を覚えましたし、それはしばらく心に残り続けました。ゴジラという「脅威」は決してなくならず、そこに存在し続けます。これと共存していくしか選択肢がない中で、どうやって生きていけばいいのかという問題提起がなされて作品は幕を閉じるわけです。ジュラシックワールドでは次回作でいろいろと描かれるんでしょうが、少なくともこの2作品では「そこに紛れもなく存在する脅威と向き合う」という共通項があるように思えます。

 

私たちは今、COVID-19という「そこに紛れもなく存在する脅威と向き合う」生活を送っています。専門家ではありませんが、このウイルスが地球上からなくなることはほぼないですよね。そうであれば、これと共存していくしかないわけです。

超大雑把にくくると、今ってSF映画と同じ状況なんだなと思えてきます。

 

パンデミックが起こって1年以上たったこのごろ、そんなことを考えています。

 

追記

そういえば、映画『アイアムアヒーロー』も同時期に鑑賞していまして、私にとってはこれもなかなかリアルでじわじわ怖くなる系の作品でした。原作は読んだことないですが、これってどう決着するんでしょう…。ショッピングモールを離れちゃって、日本中どこもゾンビだらけだなんて絶望しかないですよ。なんかこう、アルカディア的なエリアはあるんですかね。