洋画感想連想記

息をするように洋画を鑑賞して10数年です。海外ドラマも好きです。

気楽に恋愛映画を観たいなら 映画『真夜中のマグノリアで』

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たまに「なんにも頭を使わずにすむような恋愛映画が観たい」という、制作側から怒られそうな動機でもって映画を探すことがあります。

 

こんな気持ちになったときのために、私が用意している映画リストはこんな感じです。

どれだけ共感を得られるのかわかりませんが、いつも思い浮かぶのはこのあたり。

改めて考えると『マイ・インターン』が恋愛映画のジャンルに入るのかはちょっと怪しいですね。実は「なんにも頭を使わずにすむような映画が観たい」とき用リストのうちの恋愛映画編だったんですが、ほかは割愛します。

 

何はともあれ最近、これら”マイ・リスト”に新しい映画が追加されそうです。

それが、『真夜中のマグノリアで』という映画です。

 

 

あらすじ

シカゴでラジオパーソナリティーをしているマギーとジャックは、幼馴染みで大親友。

全国放送のチャンスをものにするため、家族とリスナーの前で恋人同士のフリをすることに。

Netflixのあらすじを少し引用

 

要するに「幼馴染が相手に対して抱く本当の気持ちに気づく」そして「結ばれる」という超典型的なラブストーリーです。ネタバレとかもうそういう次元ではないです。

あと、「パジャマ姿なのにメイクもヘアもばっちり」系です。そういう感じです。

 

想定外に大ごとになった嘘

マギーとジャックの父親たちは、共同でジャズバー「マグノリア」を長年経営しており、毎年12月26日には両家族でマグノリアに集まって食事をするのが恒例になっています。

セリフから読み取る限り、2人の一番古いエピソードは高校時代のものですが、たぶんもっともっと前からの幼馴染みなのでしょう。

また、2人ともそれぞれの恋人と長続きしないということが示唆されています。マギーの恋人は、ジャックの存在をよく思っておらず、「クリスマスには、ジャックの家族もいる中に僕も参加するの?」みたいな質問を投げかけたりします。

付き合っているのは君なんだから堂々として彼女の言葉を信じろよと個人的には思うんですが、こういうビビりな彼氏でないと話が進みませんから仕方ないです。

 

 恋人のフリをすると決めた背景には、2人のラジオ番組を全国放送にするための準備として年越し生配信イベントが企画され、そこで2人の恋人を紹介することになったのに、すぐに両カップルとも破局してしまったので、「じゃあ自分たちが恋人同士ですってことにすれば良いでは?」と思い至った、というのがあります。ジャックのひらめきで、「イベントが終わったら友人に戻ることにしたと言えばいいじゃん」くらいの軽いノリでした。

ところが、恋人同士だと家族に嘘をつくと「やっとだ!」と大喜び。

ジャックはマギーの父親からいつかのプロポーズのためにマギーの亡き母の指輪を託されたりして、ジャックはことの重大さに気づいて罪悪感にさいなまれます。

 

異性愛者同士の男女の友情は成立しないのが世の常

恋人のフリをし始めてから、マギーと姉の会話で、マギーは実はずっと昔からジャックのことが好きだったとわかるんですが、正直ここで冷めてしまいました。好きだったのかよ。

 

ジャックは鈍感にもほどがありますが、高校時代の元恋人と偶然再会し、昔話に花を咲かせている中で「あなたはマギーを想っていたから私たちは別れた」と言われて初めて自分の気持ちに気づきます。好きだったのかよ。

 

ジャックの歌の違和感

年越しイベントはマグノリアを会場にして開催されました。

このとき、例によってマギーとジャックの関係は最悪の状態。

生放送で恋人発表というとき、マギーは耐えきれずに嘘をついていたことを告白して壇上から去ろうとします。このとき、ジャックは自分の気持ちを告白し、彼女への歌をうたいます。この歌は高校時代に彼が自作した歌で、マギーはこの歌を気に入っており、「またみんなの前で歌ってほしいのに」と言っていたものでした。

 

作った当時は「誰のことをうたったのかわからなかった」らしいんですけど、「本当か?」と思うほど”いま”の状態にピッタリな曲でした。

超ざっくり言うと「いまわかった、運命の人は君だったんだ」という内容です。”いま”作ったんじゃないのか?何にも説明なかったけど、直前になって歌詞だけ少し改変したとかそういうことなんでしょうか。映画は観る人それぞれが何かを想像するためにあるので、私はそういう解釈でいきたいと思います。

 

なぜ亡くなっている必要があるのか

私がこの映画で一番引っ掛かっているのは、マギーの母親のことです。

ジャックの両親はいまも健康で、マギーの母だけ亡くなっているのはなぜなのか。

 

私の想像ですが、「”2人が結ばれることを祝福している度”がめちゃくちゃ高いんだということを表現するため」なのではないかと勘繰っています。

 

女性側の父親が、自分の妻の指輪=家族にとって何にも代えがたい大切なものを娘の交際相手に託すというのは、相当な信頼と確信がなければできないことです。軽い気持ちで嘘をついたジャックの気持ちを本格的に揺さぶることになりますが、これは「彼の妻、彼女の母が亡くなっている」ことによって、影響力が倍増するわけです。

それ以外に、マギーの母が亡くなっている設定の理由が思いつきません。

 

20代以下の人間にとって、両親と死別するというのはある意味ファンタジーなのかもしれません。映画の主人公って、家族のだれかを亡くしていたり、両親が離婚していたり、バックグラウンドに何かしらの「喪失」を経験していることが珍しくありません。喪失体験は確かにその人物の内面を複雑にしますし、そういう人物の物語は深みを出しやすいのかもしれません。ドラマも起きやすいとされている気がします。例えば、心の傷が原因で薬物に手を出すとか。脚本として浅はかですけど、2000年代までは本当によくありました。

 

言いたいことを書きまくったら、想定していたよりも長くなってしまいましたし、なんだかんだ頭を使っていました。

ディスっているように見える文章になっている気もします…。でも、そのつもりはあまりないです。たいていの場合は受け入れるタイプです。

 

終わりに

とにかくこの映画は、「予想した通りの結末になる」映画です。シカゴが舞台でおしゃれですし、そういう意味ではサクッとみられる映画と言えそうです。また制作側を敵に回しそうな発言をしてしまいました。

あと「スピーチ・エンド」映画です。この言葉は世の中にないです。勝手に作りました。要するに「みんなの前で何か発言して拍手が起こって終わる映画」のことです。同じ特徴のある映画は山ほどあります。ティーン向け映画に多いです。そのうち記事を書きたいな、といま思いました。